美しさが世界を救う

美しさが世界を救う

素敵な言葉ですね。
不勉強にて申し訳ないのですが、ドストエフスキーの言葉で、白痴において肺病患者が公爵に本当に言ったのかと捲し立てるシーンで出てくる言葉だそうです。

そして今期でテニスツアーを引退するティプサレビッチの腕に彫られたタトゥーの一つがそれなのだ。セルビア出身のメガネマンは後輩のジョコビッチよりもなお錦織狩りを得意としており、5戦5勝、全コートサーフェスで錦織を下すという徹底っぷりである。

上背はそこまでではないものの、ガッチリとした体格から繰り出されるサーブが強力なストローカーで、単純なパワーで組み立てることもあるが、本当に恐ろしい強さを発揮するのは攻め凌ぎの巧みさもあると踏んでいる。それとカウンターでレーザービームフラットをストレートにねじ込む能力も高く、怪我がなければもう少しタイトルもtop10在位期間も得ていただろう。
フォアもだが、特にバックハンドは打点合わなかったときは露骨に変なフォームになって詰まったような浅いボールが来るわりには、高めの打点やスピードボールに対しては逃さず攻めに転じるので、攻めどころに困る選手だと思う。

ラドワンスカやユーズニーなど大学へ行くインテリ系のテニス選手はいないわけではないが、ティプサレビッチはセルビアの出身。モンテネグロとかユーゴスラビアとかとわちゃわちゃやってた世代の真っ只中、爆弾が降りそそぐなかにテニスコートあるような環境で育ったためか、本を読みながら自己と向き合い哲学を掘り下げるトラディショナルスタイル。ニーチェドストエフスキーを愛読し哲学書を読みあさり、精神と肉体の解離に苦しんだのか、テニスという職業や幸福にまで考えが及び病みかけたというガチ勢。

ガチ勢ティプサレビッチの解釈によると、「美しさが世界を救う」は皮肉的な言葉で道理とは逆ではないか、それが自分が言いたいことであるとインタビューで答えました。造詣の深いティプさんの解釈はわかりませんし、彼は多くを語りませんのでリビング白痴として名高いこの私がティプさんのタトゥーに迫ってみましょう。


ドストエフスキーの作品では美に関する記述は実に多く、カラマーゾフの兄弟では美は恐ろしい、定義ができないので人の心の中で神と悪魔が戦うという描写、人類の存続のためには美が必要で科学や歴史ですら一刻も持たないという描写、さらにはこの世の純粋な美は唯一キリストのみだというような描写があります。
小説というよりは哲学書というような鋭さで切り取っていますが、美が厄介なのはそれが何か明確に説明できない点にあるでしょう。美に関しては科学的なアプローチでも迫ってはいるものの、黄金比でも白銀比でも、アンケート系の研究でも、明確な答えは出せません。

一つの考えとして、少し次元を落として顔に絞って考えますが、その集団の平均顔こそが美人という説もありますし、実際にモンタージュしてみて出来た顔は調和している顔だと思います。つまり、集団の平均値こそが美しいものなのでしょうか。
これは一定の研究結果が出ていますが、では実際に出来上がったモンタージュ写真と高名な女優を並べてみてください。現実的には10点満点で7点の美人が前者で、8点以上の美人は突出したものを持っているはずです。女優の固有名詞をだすと、時代の移り変わりによりイメージがかえって薄れてしまいますので、2019年の本邦での価値観では、平均値を2SDくらいぶっちぎった大きな目、高く小さな鼻、大きな頤、シュッとした輪郭こそが突出した美人の特徴ではないでしょうか。研究者たちも平均美人説には限界を認め、幼児性などで説明できるのではないかと分析しています。
大きな目は幼児性の範疇でしょうが、高い鼻やら発達した頤はまだまだ現在の手法では説明しきれないのが現状です。

逆説的なアプローチですが、脳スキャンによる研究ではある一定の段階からは美を感じたときは脳活動が内的な方向へ向かうとの報告もあるようです。(ただし、原文読んでおらずGigazineによる訳文ですので研究のデザインが妥当かは不明です)
美は定義付けが出来ないものの、確かにあるというとんでもなく厄介なものであり、過去の哲学者たちが頭を抱えたのも当然です。

また美とは絶対的なもの(黄金比とかシンメトリーとか)と変動するものがあることは明らかです。逸話ですが、北海道民が本州へ大学進学しゴキブリのあまりの美しさに飼育して地元民にドン引きされたというエピソードがあります。もちろんネットが発達した現代では笑い話としてすら成立しない物語ではありますが、その集団の文化や習慣から生まれる美意識というものは少しずつ違ってくるのでしょう。

テニスに話を戻しますと、フェデラーのテニスは美しいと世界中で評判になっています。テニスの組み立て、フォーム、立ち振舞いも含めての評価で異を唱える者はほとんどいません。
しかし、正直にサーブに関してはトロフィーポーズまでは完璧だけどインパクトの瞬間の膝やお腹の辺りの角度ついてるのってちょっと美しくないのではと僕は思っていたりもします。インパクトの美しさならパトリックラフターとかの方が僕は良いです。しかしそれを説明せよといわれると困ってしまいます。これが美しさというものの難しさです。当然、それに救いを求めるのは何かがおかしい気がしますね。


こんなことは当然ドストエフスキーだってわかっているでしょう。しかし彼は同時に美しさは人類になくてはならないものだとも評しているのです。

公益社団法人日本印刷技術協会が10年前にハッとするようなレポートを書き上げております。

紀元4万年前の時代から人間はアクセサリーを作っていた可能性があるそうです。
人間が人間である理由のひとつに美しさを追い求めるというものがあるのではないでしょうか。単に種の保存本能を満たすだけであれば既に現在の日本では物質的な困窮からは解放されつつあります。それでいて過去の人が夢見たような理想郷になっていますでしょうか?
他ならぬジョブズ自信がパンドラの箱としたデジタルデバイスの登場により、我々は情報というパンの確保に躍起になってしまっています。
いかなる状況においても、美意識がないと幸福な生活というものへたどり着けないのです。


その点で美しく生きよとまで言い切った印刷技術協会のレポートは素晴らしいものになっておりますし、美しさが世界を救うという言葉は真理なのではないでしょうか。普遍的な美しさ。ドストエフスキーはそれは神であるとしました。
日本語での美とは羊が大きいと書きますね。これは大いなる自己犠牲ではないかと推察する方もいるようです。全くもってこの字を考え出した人は鋭い感性をしています。


いずれにせよ、残り少ないティプサレビッチのキャリアから目が離せません。
厳つい体躯に厳しい表情。外見は恐い感じですが、内面はとってもセンシティブ。それを証明する腕のタトゥー。
戦火の中で育ち古くは大物食い、アプセッターとして名を馳せ、勝ち方を覚えてからはトップ選手の仲間入りを果たし、直後に怪我でキャリアを棒に降るという波瀾万丈なティプサレビッチの最後のシーズン。どうか幸あらんことを。