激辛グルメクラブがサークルクラッシュを食らった一例
辛い食べ物というのはどうしようもなく惹き付ける。
カレー屋さんを思い浮かべてほしい。そこには色んな美味しそうなメニューがあるはずだ。そしてこんな表記はないだろうか?"お好みの辛さを選んでください"
他の外食産業において、ここまで味を細かく指定できることは珍しいのでは。ラーメン屋さんで濃い目、薄目くらいはオーダーできるかもれない。でも塩味5、旨味7の酸味3でお願いしますとオーダーする人はまず見かけないはずだ。
今の科学によると、辛味というのは味覚受容体で刺激を感じているわけではなく、痛覚や温度覚の刺激ということになっている。そのため五大基本味覚には含まれないとのことだ。
さて、辛味というのは時としてエンタメになる。我々はその昔、6人程度で連れ立っては激辛を食べてみるという儀式を繰り返していた。何が楽しいのか、翌日には口から肛門まで鈍痛を抱える羽目になっても、暫く激辛をやっていないと禁断症状が出てくるから不思議なものである。
しかしこの宗教団体は辛さに耐性があるのは一人だけで、後は一般人だけしかいなかった。我々の王はCoCo壱で迷わず10辛オーダーする猛者だったが、私含む他のメンバーはそのおこぼれを掬って味見してはヤバいヤバいと囃し立てることしかできなかった。不思議なことに絶対に自分一人では注文しない辛さも、味見~ちょい食べ程度なら皆進んでトライした。辛いのが苦手な人間さえ、このエンタメの楽しさを共有していたように思う。
サークルクラッシャーという言葉がある。Wikipediaにも項目があり、もはやネットミームを飛び出してやや一般用語寄りのスラングになっていると思う。基本的には楽しくやっているところに色恋沙汰を持ち込んで破滅させるという定義で通じると思う。今回我々は色恋抜きにしてもクラッシュされる一例を経験したので報告する。
我々の儀式にある時辛いものに目がないという女性が参加することになった。王以外はいなくても敢行されるため全会出席している自信はなく、はっきりとはわからないが、時折ゲスト参加はあったものの女性の参加は初めてだった気がする。儀式の性質上"回し食べ"のような形になるため、異性が混じるのはなぁと思っていた。
さて、結論であるがこの女性、滅茶苦茶辛味耐性が強かった。
我々の王とて最大の辛味にたいしては汗かきながら艱難辛苦を乗り越える様であり、今にして思うとそれがエンタメに繋がっていたのだが、かの化け物は平然とペロリと完食しやがる。我々がきゃあきゃあ、多少の無理をして、チームワークの一体感すら覚えながらようやっとやっつける横で、あまり水も飲まずにしれっと平らげられると盛り下がった。辛い痛い以外の感想が無いなか、旨味がどーのこーの言われてもこまる。王ですら味覚は麻痺してるのだ。
我々の王への信仰心は少しも揺るいではいないのだが、激辛食べようサークルは自然に瓦解した。世の中の美味しいものはたくさんある。ラーメン食べようサークルに看板をすげ替え、その後も外食そのものは続いたが、あれだけの熱気ははらんでいなかったように思う。メンバーもより流動的になり、王という存在もなくなった。強いて言えば足がある人になるのだが、あの激辛で結ばれたような絆はなく、そのうち通常の仲良し飲み会やらに分散されていった。
振り返ってみるとその女性と激辛食べ歩きを出来るのは王くらいなものだったが、王には当時彼女がいたためそのような発展はせず、我々は色恋沙汰抜きにしてサークルクラッシュをくらってしまった。インカレテニスサークルにおいて高校までバリバリやっていたガチ勢がいるという謎現象を知っているが、あれで蹂躙されるのはこんな感覚なのかとも思う。インカレに出てくるレベルがインカレサークルにいるとはこれ如何に。
最近、激辛課長という漫画を見るたびに懐かしい気持ちになる。我々が経験できなかった色恋を含みつつ、火曜日にコミックDAYSで無料更新されるので、皆見てみよう(ダイマ)。あとイブニングで本誌連載されてるのが最終回を迎えたのかな?さみしい。
THE世界大学ランキングについて
先月、THE世界大学ランキングが発表された。各大学ともそれぞれスコアを分析してそろそろリリースされる頃だろう。
結果は少しもの足りないもので、ランクイン数ではアメリカに次ぐ順位だったものの、上位ランキングという観点では英語圏の大学はもとより非英語圏でも中国や韓国、香港に押されている感じではある。
ヤフーコメントでは学生の質や努力を疑問視するような意見が多く見られた。大学生というモラトリアム期間にキャンパスライフとか夢物語を抜かして、合コンだサークルだフェスだパパ活だSNS炎上だと、毎度毎度眉間にシワが寄るような行動をする学生側にも問題があるのかもしれない。しかしながら、それは大きな誤りである。何故なら責をとわれるのは学部学生ではなく、教員と大学院生と所属研究者たちだからだ。
少し詳しい話をしよう。
2013年に、産業競争力会議が策定、公開したその成果目標の一つとして「今後10年間で世界大学ランキングトップ100に10校以上を入れる」が加えられた。国をあげての目標と言い換えても過言ではないのではないか。
このようなランキングを政策目標に設定するのは賛否あるとは思われるが、大学の力を可視化するためにはある程度の客観的指標があった方が第三者にとってもわかりやすいという事情もある。研究者の間ですら専門分野以外の研究を評価するのはすこぶる難しい。嫌味な言い方になるが、非アカデミックな人にとっては無理難題だと思う。
問題なことに大口スポンサーは非アカデミックな人たちである。研究費として多額の公的資金が投入されている以上、研究評価は無理でも客観的指標を見せる必要がある。
世界大学ランキングとして、上海交通大学作成の世界学術ランキング(ARWU)、Times Higher Education(THE)誌作成のWorld University Rankings(THEランキング)、QS社作成のQS World University Rankings(以下QSランキング)の3つが広く知られている。他にも世界イノベーション大学ランキング(ロイター?)とかあった気がするが、そもそも大学のランク付けは絶対的なものではない。
先月発表されたTHEランキングは2010年まではQS社、2015年まではトムソン・ロイター社が、現在はエルゼビア社がデータ分析を担当している。会社が変わるときに順位が大きく変わっている点にも注意してほしい。現行では33%がエルゼビア社による評判調査(教育が18%、研究が15%)なので過度に気にする必要はないのだが、大きな影響力を持っていることも事実である。
THEランキングは5項目でさらなる小区分として13の項目で評価される。
教育では、評判(エルゼビア経由聞き取り)、職員数/学生数、博士号取得者数/学士号取得者数、博士号取得者数/教育研究職員数、
大学収入/職員数に分けられる。
同じく研究は評判、研究収入/職員数、論文数/研究者数に分けられる。論文被引用数はそのまま論文被引用数/論文数となる。
国際性は留学生数/国内学生数、外国人教員数/国内教員数、国際共著論文比率に企業からの収入は産業界からの研究費/教育研究職員数を数値算出の対象としている。
それぞれの数値に独自に重み付けされて計算されるようで、野球に詳しい方にしか伝わらないたとえ話をすると大学版セイバーメトリクスみたいなものである。
話は戻るのだがこの評価のなかには学生の態度なんてものは入っていない。
代返しようが、寝ていようが、出席とったあと逃げようがランキングには反映されない。大学生のみんなは安心して節度を守ったキャンパスライフを楽しんでほしい。なんなら押さえるべきところを押さえる学生の方が社会にでたあとは強みになるかもしれない。就職する人たちは遊んで大丈夫。大学院に入ったあとは奴隷生活が待っているので院進学する人たちはもっと切実である。大学のうちに死ぬほど遊び倒して、さらに余力があれば結婚しておくと良い。今や博士課程のサジェストに地獄というワードが上位に出てくる。奨学金を借りている場合は学生結婚は現実的ではないが、実家が太い人たちは選択肢にいれておくべきだ。本当に結婚できなくなる。もうひとつは家庭の存在により自分の体を労るようになるのではないかという偏見である。
ハードワークは絶対に必要だが、ある程度の見きりをしないと人は容易に潰れてしまう。大学院進学者と学位取得者を比べてみれば結構な割合で解離が認められると思うのだ。アカデミアはそういった方をドロップアウトと蔑み、研究に向いていないだの能力が低いだの平気で言うが、研究室運営に問題があるとは考えない傾向にある。だから潰れる前に「抜く」ことを是非覚えてほしい。そうは言っても自分一人では限界超えてしまいがちだ。しかし家庭があればそこそこで切り上げるのではないかという偏見である。両刃の剣で家庭に居場所がなくなるといよいよ大学構内に住み着き始めるというリスクもあるのだが。
そして真面目な話をすると、就職予備校としての側面を持つため、大学の中だけではなく色んな人とコミュニケーションを取れるようにすると良いと思う。大学院生にも当てはまるのだが現実的には先述の通り、時間と気力が取れないので院進学する前にしておきたい。
データ含めた客観的かつ詳細な分析は豊田長康氏によりすでに行われているし、各大学も分析して学内関係者むけには公表しているだろう。実際に新潟大学はニュースレターという形で研究部分のスコアが良かったとHPにあげている。つまり、まともな分析はもうとっくにされていて、硬い話をしても意味がない。そこで今回はエビデンスレス、全力全開の偏見で与太話をしてやろうという魂胆である。
ちなみに豊田氏の分析では資金投入割合の低さに言及しているが、じゃあ選択と集中を止めてまんべんなくお金を今よりも多い額面出しましょうとはなりにくいと思うのだ。氏の分析は緻密で、研究力のなかでもイノベーション能力の向上はGDP増加に繋がると導きだしており、専門外の私なんかは簡単に説き伏せられた。しかしパンがないならフラスコ買えば良いじゃないと言えるだろうか。フラスコを買うことにより新たなイノベーションが起こり、パンの大量生産が可能となり庶民にもパンが行き渡ると素面で言えるのは詐欺師くらいであろう。なぜならフラスコの中の真実が世の中の普遍的真理とは限らない。
緻密な分析であるが故につい真実だと誤認しそうになるが、再現性は担保出来ない。提言を受け入れて2兆程度の追加公的資金が投入されても、論文の質と量が向上するとは言い切れない。未来視なんて誰にもできず、あくまで各国や過去との比較から、こうなる傾向にあるくらいまでしか言えないはずだ。
最近では東大宇宙物理学の教授が政権叩きをしたいがために、フェルミ推定を根拠にワクチン100万回を批判して10日後に達成されるという即落ち2コマ漫画を披露してしまった。公衆衛生学でも統計学の専門家でもないにも関わらず教授の看板を利用していっちょかみして、おまけに盛大に外すという情けない姿は教授って大したことねーな、引いては公的資金投入への不信に繋がりかねない。本業では業績を残しているし、HPを見ると出前講義まで精力的に行っておりスライドも公開するなど素晴らしい人格が見える。しかしながらイデオロギー的なこと(軍事研究関連)に囚われると、平気で若者を断罪するような稚拙なスライドをせっせと作り始めるから困ったものである。
思想的には逆側だと思う超有名人として、工学部門で業績を叩き出してはコロナやワクチンやマスクについて害悪を垂れ流す元中部大学教授がいますね。ややカルト化しているようにも見え、これでは大学教授なんてろくなものではないと言われても仕方がないだろう。
という事で、まず一つ!教授陣からSNSを取り上げ(研究室単位で動かすくらいに留めるのはどうか)、メディア出演を大学が制限をかけてみよう。言論弾圧と言われても仕方がないが、ウンコを捻り出して、これは個人の見解で所属機関とは無関係ですみたいな事を繰り返す教授さんサイドに問題がある。特に専門外分野とイデオロギーに関わる分野では発信を厳かに慎むべきだ。
二つ目は研究室運営の健全化である。優れた研究者が昇進しがちな世の中であるが、人の上にたってはいけない人が一定数いるのは間違いないだろう。パワハラでは山形大学がパッと思い付いたが、あれだけニュースに出てくるとなるとどこかに問題があるのではないか。
数年前に文科省の若手職員がAirBridgeという作業部会を設置した。研究現場を考える若手の会として運用されているのだか、つい最近興味深いアンケート結果が公表された。PI(研究室主宰者)の運営能力の欠如は数年前3200人以上の科学者を対象とした調査で示唆されていたが、今回日本の若手研究者に絞った調査でも同じような傾向が認められた。
AirBridgeのアンケート結果より引用させていただく。
”主なまとめとしては、
• 研究室・ゼミ選びに当たり、「指導教員の性格」「指導教員の指導方針」「研究室・ゼミ内の雰囲気」等を重視するべきと認識されている一方、それらの情報を十分に知ることは難しい。
• 学部での研究室配属の際、じゃんけんやあみだくじ等のランダムな手法による配属先の決定や、研究室あたりの受け入れ人数の上限・下限の設定、部局等からの学生の受け入れの依頼といった、学生と教員間のミスマッチを生じうる状況が一定程度存在。
• PIに求める能力として、「マネジメント能力」「研究指導力」「コミュニケーション能力、倫理・道徳観」等が必要とされる一方、十分身についているとは言い難いという認識。
• 研究指導や研究室マネジメントに関するインセンティブ設計や体系的な学習の機会は十分とは言い難いという認識。
• アカデミア・民間企業等への進学・就職にあたっては、「アカデミアに残らなければ負けに近い」等の心理的ハードルが一定程度存在。また、多様なキャリアパスに関する情報が十分でない可能性。”
元データはAirBridgeから取得していただきたいのだが、PIに求める能力として重要なものを順位つけすると、「研究指導力」、次いで「コミュニケーション能力、倫理・道徳観(優れた人格であること)」、以下「優れた研究成果を創出する能力(論文・特許等)」「研究室運営マネジメント能力」「外部資金獲得能力」「研究者・業界への影響力・コネ」と続く。
そしてそれが実際に備わっているかとなるとかなり悲観的な内容になる。「優れた研究成果を創出する能力(論文・特許等)」については90%近く備わっているとの回答を得ているが、「研究指導力」「コミュニケーション能力、倫理・道徳観(優れた人格であること)」「研究室運営マネジメント能力」は60%を超える程度である。さらに研究室・ゼミ選びの際どのような観点を重視した方が良いかとの質問では「指導教員の性格」が90%を超えて重要視すべきとの結果になっている。これは「研究テーマ」や「研究室・指導教員の業績」よりも高い数値である。
理系が多いという回答者バイアスがあるものの、概ね研究室のヤバさが反映された結果だろう。
PIに求められる能力として研究能力と同等以上にコミュニケーション能力や人格が求められる可能性が明らかになった。コミュ力偏重の就職活動だと揶揄されるなかで、超実力主義である研究の世界でこのような結果になるのは実に皮肉がきいている。
もちろん言葉面のみ受け取ってはいけない。研究能力がない人の研究室に進んでいきたがる人はいないだろう。ひねくれた見方をすると、自分の力量ならボスなんて関係ないよとの自信の現れかもしれない。ただし私は、これは若手研究者の悲鳴ではないだろうかと推測する。
ヤバい奴は長にしてはいけない。追放する必要ないが、人の上に立ってはいけない。後進の指導なんかするより研究に打ち込んだ方が輝ける性格だと割りきった方が、指導を受ける側のみならず行う側にとっても幸せだと思う。パワハラセクハラアカハラが常態化している研究室なら人事異動を検討すべきだ。追放や降格して世に解き放つよりも独立ポストを用意してそこに捩じ込むのが穏便なやり方だと思われる。指導には関わらせるな。教授の給料は税金やら学費が当てられる以上、指導能力を求められるのは当然であり、それが嫌なら教授選に出なければ良いだけの話だ。
以上二提言は正直大学力向上に直結するものでは全くないのだが、将来的な公的資金投入や研究室のあり方など国民におうかがい立てるときに必要だと思われる。そして豊田氏が指摘する通り、もっと金を回さなければ大学力の停滞は続くだろう。
個人的には研究の90%は役に立たないものだと感じている。業績にはなりにくいが、上手く行かないことがわかりましたとなることも多い。この現実から目を背けるとデータ捏造してでも結果出さなければというプレッシャーに追われることになる。国民の皆様からあいつは何をやっているんだと怒られながらも10%を捻り出すしかないのではないかと思っている。
そしていわれなき非難をあびている学部学生、死にそうになっている大学院生やらポスドクが救われれば幸いである。
幕末志士の坂本さんの魅力から逃れられない
配信者として知られている幕末志士坂本さんの発言がいちいち鋭くて刺さる。
一例をあげる。生配信でオブザーバー坂本をしていたときの話だ。
そのうち全体公開されるであろうからネタバレを避けつつかいつまんで言うと、チーム幕末でのマリオパーティにて”持つものがそれを生かして蹂躙していく様を見ると心苦しい”と言うような事を言っていた(筆者による脚色あり。正確な流れや発言は元動画を参照なのだが、残念なことに現時点では全員が見られる状況ではない)
つい最近、親ガチャという言葉が流行った。
この是非はともかくとして、親の影響が凄まじいことは論理的に説明がつく。
慶應大学安藤寿康教授の研究ではIQはもとより、精神性、才能や問題行動まで遺伝の影響を受けることが明らかにされている。なんともやりきれない話である。極端な話だがわたくし、才能に乏しい人間が情熱と努力、創意工夫によって成功を収めるストーリー大好き人間である。その手の話にはだいしゅきホールド決め込むことを信条としている。
これが、努力(安藤教授でいうところの勤勉性)が50%以上遺伝する、他にも創造性なども遺伝による影響と言われれば、じゃあ個人って何なのよという疑念が浮かぶ。努力家の人やそうでもない人がいるのは経験的にわかるが、それすら親の影響となると今までのだいしゅきホールドを返してほしくなるではないか。
安藤教授はむしろ凡庸な人にこそ光をあてる研究だとしているようだが、そこまで深い領域に達していない私はかなり落ち込む。恐らく結構な人が同じようなやるせなさを共有できるのではないかと思っている。
勿論私は専門家ではなく、見識不足なので研究の妥当性は判断できない。また、安藤教授の域までいくと、別な視点で見えてくるのだろう。しかしながらこの分野に関して似たような話が多くて、げんなりしてしまう。
マシュマロテストという自制心がその後の社会的成功に繋がるといった研究がある。
ひとつマシュマロを置いた部屋に子供を置き去りにするのだが、15分食べるのを我慢して待てばもうひとつマシュマロをあげると伝えておくのだ。この結果食べてしまう子、我慢した子を追跡調査すると我慢した子の方が学力やら収入やらが多かったというのがオリジナルの研究である。これをもとに自制心が取り上げられ、社会的成功のためのキーポイントとされていた。
それを追試したところ、残酷な現実が浮き彫りになってしまった。マシュマロを我慢できたかは否か家庭の経済状況に左右される。その後の成功や学力の相関も、本人の自制心・忍耐力によるものというよりも家庭の経済状況によるものではないかという。
全く身もふたもない話である。人道支援で植物の種を与えても、現地人は空腹に負けてそれを食べてしまうというようなジョークがエビデンス付きで叩きつけられた気分である。
ペリープレスクールプロジェクトというものがある。詳しくないが概要はこうだ。貧困層含めてランダムに児童を選び、就学前の幼児教育を施して追跡調査するという研究である。これに関しては就学前教育が40歳時での学歴と所得に相関していることが報告されている。こう言っては失礼だが、貧困層の子供でもきっちり成果を出している点がポイントではないだろうか。
遺伝の影響を否定する報告だとは思うが、そもそも就学前教育を行える、そこに投資しようと考えるのは親の影響に他ならない。
単純に日本でも東大生の親の平均年収は世間一般と比較し高いことが知られている。
マシュマロテストの結果と合わせても、親の環境的影響が及ぼす効果は絶大であり、さらにそもそもの遺伝的影響も重ねられるというのは一定の科学的な説明がつくといって差し支えないのではないだろうか。
現状、椅子の数には限りがあるため大きく発展した現代社会ですら競争社会である。私がウダウダ論文付きで大上段に構えて自説の正当性を主張しているが坂本さんの、持つものが蹂躙する様を見てるとヘラる、以上に訴求力あることは言えない。
これ、親ガチャというワードが流行る一月前くらいの出来事で、社会を切ると言うような主旨でもなく面白放送のなかでポロっと言った内容である。そういうところに凄みを感じる。頭が回る人の脳内を一度見てみたい。
また、すこし古くは東京五輪金メダリストの後藤選手が表敬訪問で河村市長に金メダルを齧られる件についても触れ、過度に周囲が叩く事に落ち込むと放送で言っていた気がする(これもデリケートなので元動画参照なのだが全員見られるわけではない)。言われるまで私は河村市長を叩いている側だったかもしれない。恥ずかしい限りである。認識すらしていない隠れた差別意識が浮き彫りにさせられてしまう。非常に刺さる。これを面白交じりに話すのだ。
さて、上の方で恥ずかしげもなく学力試験の結果や年収の高い低いを社会的成功と疑い無く結びつけていた私であるが、これがそもそも分断の始まりではないか。
恥ずかしながらつい最近知ったのだが、能力主義、学歴社会の歪な構造についてNHKでも放送されていたサンデル教授が指摘していた。これについては見識不足で論文もない以上私から語ることはない。当該図書を呼んでくれとしか言えない。ただ個人的には思うところあって、すこし病んだ。
やや自慢っぽくなってしまうが、私の知る限りでは博士課程で経済的に困窮している人はあまりいなかったように思う。(坂本さんは修士だが、親が自己破産した経歴はそもそも珍しいのでは)
あんまりそういう話をしないが、親が裕福か、教育熱心な人が多い傾向にあるのではないか。能力が飛び抜けている人も、信じがたいハードワークを苦にしない人も、物凄く頭が切れる人もたくさんいて、常日頃感激と敗北感を味わっていたが、もはやそれすらも私の首をじんわりと絞めている気がする。それと同時に坂本さんの能力の高さに戦慄する。
ただ、学歴社会や能力主義社会が分断のひとつの原因といっても(それが正しいかも不明)、じゃあどうすれば良いのよといっても明確なビジョンはない。どうしようもない無力感に襲われるのだが、坂本さんにはこのような閉塞した価値観をも蹴っ飛ばしてくれるカタルシスがある。
家庭の話になるが、坂本さんは父が財を成して裕福になり、その父が連帯保証人で倒産し(先述したが自己破産したとか)貧困化するという天国と地獄のジェットコースターに乗っていた経歴がある。
そのためか柔軟性のある考え方をしており、理系院卒から大企業就職、兼業配信者(初期は配信で収入を得てないだろうから不適切かも)というエリート街道まっしぐら、働き方改革にも順応した副業で稼げる安寧の立場から、大企業を退職し専業配信者へ転身という、あまりに異色な選択肢を取っている。
みすみす成功者の地位を棄てて、まだどうなるとも知らぬ大海原に命綱なしに飛び込み、あげく成功する様は現代における冒険譚といっても良いのではないか。
つまらぬ価値観を気にする自分の小ささが目についてこれも嫌になるが、坂本さんは非モテの星のみならず、リスクに縛られて動けなくなった人々の星足り得ると思うのだ。
今やチーム幕末は元大企業会社員、理系院卒、数名は家庭持ちと、社会的には良い地位にいる人たちがいるわけだが、坂本さんが彼らを巻き込みつつどこに向かって道を切り開いていくのか目が離せない。
最近は結婚願望隠すこともないのだが、結婚しても伴侶を幸せにしつつリスクを気にせずリターンを追求してほしい。しない場合も長く配信してくれないかと願うばかりである。
中毒者の呻き声
何人たりとも台湾プロ野球の魅力から逃れることは出来ない。
特に台湾プロ野球の応援が凄く良いのだ。
もう詳しく言う必要もないだろう。
峮峮によるいつものあれ、すなわち陳子豪の応援歌にはまりにはまった。youtubeの自動再生をonにしておくと大抵作業用陳子豪になるのでおすすめである。
話がそれた。きっかけはまあ、ボディラインビタビタに見せるかわいい女の子のダンスであった。
しかし、ある時ふと気付く。脳内を支配するリズム。鳴り止まないメロディ。てーれてててー。何だろうこれは?
そうなったら中毒の始まりだ。
鮮やかに蘇るコールリーダーの小気味良い煽り。
チャー!リー!チェンツーハオ!
腕を振ることを静止する術は無いのだ。
げに恐ろしいことに、ここから台湾応援歌中毒は飛躍的に進行する。
兄弟といえば王威晨のホーホホホー、張志豪のオーパーシーハオ、王勝偉の腕降りダンス、高宇杰の(たぶん)一塁側と三塁側での掛け合いからのオーンファイヤ!いずれもあなたの頭の片隅にこびりつくであろう。
ワンボーロンのラミゴ時代の応援歌は好きだぜロッテ(夢花火)と同じメロディラインのはずだか、気がつけば、ヘイヘイヘイ!オーボーロンダーワン!となっている。
ガーディアンズはやおら格好いいギターソロを連発して、中でも胡金龍のやつなんてもうね。
イントロの壮大さったらない林哲瑄も格好良い、ウィ!アー!ナンバーワン!も良い味出している。
チーム応援歌では数年前の北方王者は少しメタルっぽさもあり、実に雄々しい。
林立の応援歌は言わずと知れたロックマン2/ワイリーステージ1(思い出は億千万)である。
他にもサクラ大戦/激帝やらとにかくキャッチーなメロディが多く楽しい。
さて、恐らく野球での応援歌というのは日本、韓国、台湾くらいの文化だろう。
それぞれ微妙に違いがあって、チアを内野席に置いて楽しいのは日本のアマ(特に社会人)、韓国プロ、台湾プロだろう。スピーカー、マイクの持ち込みは韓国、台湾のみではないだろうか。
日本プロは応援団を外野席に置き生演奏するのが特徴だろう。意外と内野席はまったり楽しむイメージだ。高校野球(甲子園)になると吹奏楽部が合流してえらい豪華になる。生演奏を基本とするため、日本の応援歌ではギターソロなどは無いだろう。たぶん。
そして日本韓国(とガーディアンズ一部)に共通なのは譜割りが難しい。メロディも覚えて、歌詞も覚えて、リズムも覚えてとなると結構大変である。韓国にもセクシーなチアはいるが、踊りのフリは難しい。
私は贔屓チームの応援歌ならある程度歌える。しかし手拍子やコールと合わせるとなるともう難しい。同一リーグに関しては歌えないが聞けば薄ぼんやりと解る。リーグ違いとなるともう怪しい。代表選手ならわずかに認識してるかしていないかくらいである。
浅いにわかめと石を投げられるかもしれないが、ライトなファンとしてはこれくらいのレベルの人って結構いないだろうか?
そしてハングルわからないが韓国の応援もこの傾向が強い。有名楽曲からメロディをとってくるものはあるものの、個人的にはなかなか歌うとっかかりすら作れないものが多いと思う。
そこへ持ってくると、台湾応援歌は覚えやすい。子供が覚えやすいようにと気を払っているのかもしれないが、子供は複雑怪奇でも覚える。本当に助かるのは我々オッサン層である。
メロディガッツリ聞かせたり(林立なんてゲームBGMの部分は聞きに回っている)、掛け合いや小気味良いテンポになるような工夫がなされている。歌詞も比較的少ない。
フリも真似しやすい。陳子豪のあれを踊れと言われれば、完成度はともかく、私は踊りきる自信がある。
同じメロディ(夢花火)で好きだぜロッテとワンボーロンを比較すると、
ラララ… オイオイオイ!
ラララ… マリンズ!
ラララ… オイオイオイ! ラララ…
ラララ… 好きだぜロッテ!
ラララ… オイオイオイ!
ラララ… マリンズ!
ラララ… オイオイオイ! ラララ…
千葉ロッテマリーンズ
がロッテ。
ラララ...ヘイヘイヘイ!
ラララ...オーボーロンダーワン!
ラララ...ヘイヘイヘイ!
ラララ...ボーロンダーワン
(繰り返し)
がラミゴワンボーロン。
どうであろうか。
※ラミゴも実はこのあとリズム変わってズイチャンワン!ジンパイワン!ズイチャンジンパイボーロンダーワンと続くが。
同じメロディでもずいぶん違う。どちらも格好いいが、マーリンズと好きだぜロッテとか変化して千ー葉ロッーテマリンズの部分はちょっと譜割りが難しい。慣れればすぐだが。
台湾はラララも歌わなくて良い。ボーロンダーワンさえ覚えていれば事足りる。慣れる必要もないだろう。
そして覚えやすくてキャッチーなので知らず知らずのうちに頭にこびりつく。
日常生活に空想BGMがかかるようになるまで2週とかからぬ。空想BGMでは満足出来ず手が空けば本家を拝む。
かくして、立派なジャンキーが生まれるのである。
台湾野球から逃れることは何人たりとも出来ないのだ。
ウィルスのことは(まだ)よくわからない
エビデンスとは何だろう?
https://note.com/yo_tsu_ya_3/n/na4fb2c05ff55
医療の現場からというnoteが流行っているようだ。
自称看護師の方の悲痛な叫びが伝わってくる。
このサイトの信憑性はともかく、危ない認識なのではないかと思う部分がある。
エビデンスレベルの認識である。
著作権はともかく、引用させていただこう。
以下引用
『医者だってできるものならPCR検査をして「ほら、大丈夫だった。症状がないなら働いていいよ」と太鼓判を押したいだろう。それができないのである。
おかしくないか??』
以上引用
この新しいウィルスについてはエビデンスは周回遅れで上がってきくる。
エビデンスレベルの高いレビューやらそこからのガイドラインは必ず遅れてやってくる。
その上で、今わかっていることとして、残念ながらPCR検査の感度は高くない。(肺CTの方が高いかもしれない)
何が問題かというと偽陰性の人が出てくるリスクが高いのではないかと疑問が残る。
専門用語を使って賢ぶって申し訳ない。つまりはこうだ。
感染しているAくんBくんCくんが検査を受けたとしよう。検査でAくんBくんを見つけることができた。良かった良かった。
しかしながらCくんを陰性=感染していないと判断されてしまった。これはしょうがない。検査には限界がある。
Cくんのように実際には感染しているにもかかわらず検査で見逃されてしまう人は偽陰性と呼ばれる。
検査の特性として、AくんBくんのようにどれくらい見抜けるかという割合を感度と定義している。
もっと正確な定義は統計やら衛生やらで勉強していただくとして、上のケースでの感度は66%くらいである。ポツポツ出てくる報告では新型コロナウィルスに対するPCRの感度は70%くらいである。
PCR陰性で症状がないから働いていいよとは言いにくい状況ではないか。
まさにこのケースが象徴的だ。
以下引用
『交通事故で救急搬送されてきた患者のCTを取ったら「新型コロナウイルス肺炎像」が写っていた。
即PCR検査を行ったが陰性だったので、感染管理部いわく通常通りの対応で、とのことだ。
麻酔科医師が何も言わずに陰圧換気手術室(感染症対応手術ができる部屋)をオーダーした。
N95マスクに防御シールドを身に着け完全防御態勢の麻酔科医師。
通常通りでいいと言われたので、通常通り入室する外科医。
どうしていいか分からず、とりあえずシールドだけ身に着けてみる看護師(N95は貴重)』
以上引用
これについては、交通事故からの救急搬送なので難しい判断でやむを得ない部分もあると思う。
かなり偽陰性が疑われるため延期できるなら延期した方が良いが、延期しなかったのはそういう判断だろう。
また、サージカルマスクやN95マスクについても気を付けなければならないことがある。
やや本筋から外れるがインフルエンザウィルスに対しては医療従事者と患者家族に限り効果は認められたが、一般人がつける意味は(過去のマスク着用意識では)ほとんどない。
これはレビューがいくつか存在しており、WHOが推奨していなかった理由であろう。
さて、救急搬送されたあとどのような処置をしたか定かではない。しかしもし新型コロナウィルスがエアロゾル感染するとするならば(まだ結論出ていないはずだ)悲観的な見方もできる。確かサージカルマスクもN95も有用性で有意差無かったはずだ。レビューもサンプル数少ない報告が多いため出せないのではなかろうか。
これは厚労省のガイドラインから逆行するため、決して推奨しているわけではない。(サージカルマスクで術場にいけと主張したいわけではない)
あくまでも、まだ、公言出来る状況ではないというだけだ。エビデンスがついてくれば、当然ガイドラインは修正されるし、それは手のひら返しとは言わない。
逆にエビデンスがない以上、可能性はかなり高いのは承知しているが万一の可能性があるためはっきりしたことは言えない。
例えば新型コロナウィルスにおいてエアロゾル感染が起こるとはまだ断定していないのではないか。(ただし起こる前提で対策は進んでいるだろう)
ここが難しいところで、起こらないとも言っていないはずだ。あらゆる可能性を否定せず対応しなければならないのだ。
なんとも歯切れの悪い態度である。エビデンスなしでも、それっぽいことをさも絶対正解のように威勢良く発言するテレビコメンテーターの方がよっぽど頼りがいがある。それでも医療者はこの態度を崩してはいけない。
医療行為は基本的にはすべて犯罪にあたる。だからこその免許制度なのだが、必ずリスクとベネフィットを天秤にかけて冷静に判断して欲しい。
休みなし激務道具なしストレスフルな状況下で冷静な判断力を保てというのは、生身で空を飛べというのと同じようなことを要求しているのは百も承知だが、どうかどうか医療従事者は冷静さを失わないで。
ちなみに専門家の言葉はエビデンスレベルでは最下層である。誰が言ったかよりも何を基準に発言したかが大事なのだ。
エビデンスレベルはピラミッドになっていて、下から専門家の言葉、仮説、次いで症例報告、サンプル数大きくしたレポート、ランダム化比較試験となっている。
医療系のガイドラインには必ずエビデンスレベルが附記されているはずだ。時間はかかるがこれにより全世界、色々な考えを持っている医療従事者が同じ方向に足並み揃えることが出来るのだ。
残念なことに、中国を批判するなといったその口でコロナ四天王を発表するような、そもそもの資質を疑われるような人間も一定数出てくるが。
今は大変な時期である。8割削減おじさんは教授だから、専門家グループだから信頼されているのではない。緻密な数理モデルから8割という数字を出しているのだ。
政治経済については門外漢なので、政府の対応を評価するつもりはないのだが、この数字を値切り交渉するかのごとく6割にならんかとか、最低7割とか、それをするなら同じように根拠を出して欲しいものである。
結局安易な政権批判になってしまっていたら申し訳ない。そこは私の本意ではなく、多少の嫌味であって少なくともこの記事では誰かを本気で批判しているわけではない。テドロス以外は。
美しさが世界を救う
美しさが世界を救う
素敵な言葉ですね。
不勉強にて申し訳ないのですが、ドストエフスキーの言葉で、白痴において肺病患者が公爵に本当に言ったのかと捲し立てるシーンで出てくる言葉だそうです。
そして今期でテニスツアーを引退するティプサレビッチの腕に彫られたタトゥーの一つがそれなのだ。セルビア出身のメガネマンは後輩のジョコビッチよりもなお錦織狩りを得意としており、5戦5勝、全コートサーフェスで錦織を下すという徹底っぷりである。
上背はそこまでではないものの、ガッチリとした体格から繰り出されるサーブが強力なストローカーで、単純なパワーで組み立てることもあるが、本当に恐ろしい強さを発揮するのは攻め凌ぎの巧みさもあると踏んでいる。それとカウンターでレーザービームフラットをストレートにねじ込む能力も高く、怪我がなければもう少しタイトルもtop10在位期間も得ていただろう。
フォアもだが、特にバックハンドは打点合わなかったときは露骨に変なフォームになって詰まったような浅いボールが来るわりには、高めの打点やスピードボールに対しては逃さず攻めに転じるので、攻めどころに困る選手だと思う。
ラドワンスカやユーズニーなど大学へ行くインテリ系のテニス選手はいないわけではないが、ティプサレビッチはセルビアの出身。モンテネグロとかユーゴスラビアとかとわちゃわちゃやってた世代の真っ只中、爆弾が降りそそぐなかにテニスコートあるような環境で育ったためか、本を読みながら自己と向き合い哲学を掘り下げるトラディショナルスタイル。ニーチェやドストエフスキーを愛読し哲学書を読みあさり、精神と肉体の解離に苦しんだのか、テニスという職業や幸福にまで考えが及び病みかけたというガチ勢。
ガチ勢ティプサレビッチの解釈によると、「美しさが世界を救う」は皮肉的な言葉で道理とは逆ではないか、それが自分が言いたいことであるとインタビューで答えました。造詣の深いティプさんの解釈はわかりませんし、彼は多くを語りませんのでリビング白痴として名高いこの私がティプさんのタトゥーに迫ってみましょう。
ドストエフスキーの作品では美に関する記述は実に多く、カラマーゾフの兄弟では美は恐ろしい、定義ができないので人の心の中で神と悪魔が戦うという描写、人類の存続のためには美が必要で科学や歴史ですら一刻も持たないという描写、さらにはこの世の純粋な美は唯一キリストのみだというような描写があります。
小説というよりは哲学書というような鋭さで切り取っていますが、美が厄介なのはそれが何か明確に説明できない点にあるでしょう。美に関しては科学的なアプローチでも迫ってはいるものの、黄金比でも白銀比でも、アンケート系の研究でも、明確な答えは出せません。
一つの考えとして、少し次元を落として顔に絞って考えますが、その集団の平均顔こそが美人という説もありますし、実際にモンタージュしてみて出来た顔は調和している顔だと思います。つまり、集団の平均値こそが美しいものなのでしょうか。
これは一定の研究結果が出ていますが、では実際に出来上がったモンタージュ写真と高名な女優を並べてみてください。現実的には10点満点で7点の美人が前者で、8点以上の美人は突出したものを持っているはずです。女優の固有名詞をだすと、時代の移り変わりによりイメージがかえって薄れてしまいますので、2019年の本邦での価値観では、平均値を2SDくらいぶっちぎった大きな目、高く小さな鼻、大きな頤、シュッとした輪郭こそが突出した美人の特徴ではないでしょうか。研究者たちも平均美人説には限界を認め、幼児性などで説明できるのではないかと分析しています。
大きな目は幼児性の範疇でしょうが、高い鼻やら発達した頤はまだまだ現在の手法では説明しきれないのが現状です。
逆説的なアプローチですが、脳スキャンによる研究ではある一定の段階からは美を感じたときは脳活動が内的な方向へ向かうとの報告もあるようです。(ただし、原文読んでおらずGigazineによる訳文ですので研究のデザインが妥当かは不明です)
美は定義付けが出来ないものの、確かにあるというとんでもなく厄介なものであり、過去の哲学者たちが頭を抱えたのも当然です。
また美とは絶対的なもの(黄金比とかシンメトリーとか)と変動するものがあることは明らかです。逸話ですが、北海道民が本州へ大学進学しゴキブリのあまりの美しさに飼育して地元民にドン引きされたというエピソードがあります。もちろんネットが発達した現代では笑い話としてすら成立しない物語ではありますが、その集団の文化や習慣から生まれる美意識というものは少しずつ違ってくるのでしょう。
テニスに話を戻しますと、フェデラーのテニスは美しいと世界中で評判になっています。テニスの組み立て、フォーム、立ち振舞いも含めての評価で異を唱える者はほとんどいません。
しかし、正直にサーブに関してはトロフィーポーズまでは完璧だけどインパクトの瞬間の膝やお腹の辺りの角度ついてるのってちょっと美しくないのではと僕は思っていたりもします。インパクトの美しさならパトリックラフターとかの方が僕は良いです。しかしそれを説明せよといわれると困ってしまいます。これが美しさというものの難しさです。当然、それに救いを求めるのは何かがおかしい気がしますね。
こんなことは当然ドストエフスキーだってわかっているでしょう。しかし彼は同時に美しさは人類になくてはならないものだとも評しているのです。
公益社団法人日本印刷技術協会が10年前にハッとするようなレポートを書き上げております。
紀元4万年前の時代から人間はアクセサリーを作っていた可能性があるそうです。
人間が人間である理由のひとつに美しさを追い求めるというものがあるのではないでしょうか。単に種の保存本能を満たすだけであれば既に現在の日本では物質的な困窮からは解放されつつあります。それでいて過去の人が夢見たような理想郷になっていますでしょうか?
他ならぬジョブズ自信がパンドラの箱としたデジタルデバイスの登場により、我々は情報というパンの確保に躍起になってしまっています。
いかなる状況においても、美意識がないと幸福な生活というものへたどり着けないのです。
その点で美しく生きよとまで言い切った印刷技術協会のレポートは素晴らしいものになっておりますし、美しさが世界を救うという言葉は真理なのではないでしょうか。普遍的な美しさ。ドストエフスキーはそれは神であるとしました。
日本語での美とは羊が大きいと書きますね。これは大いなる自己犠牲ではないかと推察する方もいるようです。全くもってこの字を考え出した人は鋭い感性をしています。
いずれにせよ、残り少ないティプサレビッチのキャリアから目が離せません。
厳つい体躯に厳しい表情。外見は恐い感じですが、内面はとってもセンシティブ。それを証明する腕のタトゥー。
戦火の中で育ち古くは大物食い、アプセッターとして名を馳せ、勝ち方を覚えてからはトップ選手の仲間入りを果たし、直後に怪我でキャリアを棒に降るという波瀾万丈なティプサレビッチの最後のシーズン。どうか幸あらんことを。
とりあえず錦織絡めてPV稼いじゃお的な記事はどうかと思う
錦織がマイアミで初戦敗退した。
勝ったり、負けたりが常のATPツアーにおいてはそんなに驚くべきこととは思えないが、BIG4+一部のTOP選手でGS、MSはもちろん500も250ですらほぼ独占していたシーズンを知る人からするとショッキングかもしれない。
そこに乗じてショッキングなタイトルつけて、煽るような記事も見受けられる。
「感覚はよかった」のに2回戦負け。頭をよぎる錦織の年齢問題 神 仁司
ttps://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/tennis/2019/03/24/2_split/
アクセス数稼ぎに手を貸すつもりは毛頭ないがまったく腹立たしい。
錦織がプレーについてあれこれ言われるのは仕方ない。プロとはそういうものである。しかしながら、評論家があれこれと上から目線でバッサバッサと切るのは大いに違和感がある。同じプロの土俵だ。批判するならそれなりの根拠があってしかるべきで、それがないなら同じようにボロクソ叩かれるべきではないのか。言葉は汚いが、うんちみたいな記事や解説を量産する連中は自己の無責任な放言にどれだけの重みを担保しているのだろうか。さらに質の悪いことに、彼らには肩書がある場合がほとんどで、国内テニス雑誌の人材不足に目を覆いたくなる気持ちでいっぱいである。秋山、武田、神。この他にクルム伊達さんのため息問題で本当にツアー追っかけているのか疑わしい、聞いたことないライターも参戦してくるものだからもはやこの業界はカオスである。
話がそれた。ここで言いたいのはプロである以上、無責任ひりだし糞記事はズタボロにされるべきである。ツアーにあてはめるなら、それこそトミッチや無気力キリオスもっといえばクレイジーダニと見まごうような記事である。
特に無責任なのは妄想からプレーを批評する以下である。
「錦織の武器のひとつである細かく素早いフットワークが影を潜め、初動が鈍いためポジションに入るのが1~2歩遅れ、グラウンドストロークでのミスが早かった。特に、一番の武器であるはずのフォアハンドストロークは下半身のパワーを十分に生かしきれず、上半身だけの鈍いスイングになって、錦織らしからぬミスが多発した。錦織は風の影響を指摘したが、そこまで強風ではなかったし、条件はラヨビッチも同じだった」
もちろんスポーツにおいてすべてを客観的データに当てはめることはできない、主観的評価がすごく大事であることはわかってはいる。
そのうえで、である。
細かく素早いフットワークが影を潜めた、とはどこから来ているのか。見ていたらわかるでしょ?そんなのもわからないの?で反論を封殺しがちであるが、ここは大いに説明していただく必要がある。
連戦で疲労が出てくると足は重くなるものである。春の北米MSはドローサイズがでかいのが二つ続くのでコンディションの調整が難しくそれらを加味すれば錦織のフットワークに特別問題あるようには思えなかった。
というか、細かく素早いフットワークは基本的に押しているストロークでなければ使えないものではないのか。ラリー中には大股のレンジの広いフットワークでいかに短い時間でポジションとれるかが重要であり(日本の論文でラリー中にプロがとる歩数は3,4歩が最多となっていたはずだ)、ラリーで押し込んで、相手がラケットを前に振れなくなると、ペースのないボールがきて、そこで初めて細かいフットワークが効いてくる。正確に言えばクロス打ち合いで展開が硬直した時も細かく調整している印象があるが、数字に反映されていないので、数が多くないものと思われる。
同論文で幅の大きいステップが多用される理由として、あえて歩数を多く刻むような時間的余裕はないため必然的に大股になるのではと考察していたはずだ。
さらに、ポジションに入るのが1,2歩遅れているらしい。どうやってその数字を算出したのかよくわからない。もしその話が本当なら先の論文と照らし合わせると錦織は1,2歩しか動けていないことになる。ボレストでもやっていたのかな?
初動が鈍いともあるが、当然この試合のリアクションタイムはとっているのだろうか?
意地悪で言っているのではない。まったくの余談であるが、これは全豪OPでオーストラリアの協会が実際に集めて、リターンのリアクションタイムを開示している。ちなみに錦織はリアクションタイム、移動速度ともに(意外にも)平均よりやや上程度だったはず。
グランドスラムを自国開催するメリットはすさまじく、フォアハンド、バックハンドほかの分析項目についてもかなり詳細にデータを取られている。
そのような数字的な根拠がないのであれば、それはもう妄想である。
さて、ここで注目するのが、“フォアハンドストロークは下半身のパワーを十分に生かしきれず、上半身だけの鈍いスイングになって、錦織らしからぬミスが多発したという部分である。”という部分である。そもそもフォアハンドのラケットスピードの70%は上半身で生成される(英語論文)。この点から見ても鈍いという表現は疑問である。また、この日の錦織はスピンレートとしてフォアストロークは50rps程度を維持しており、ツアー中のなかで特別悪いものではない。錦織本人も試合後の会見でIWの時よりもボールはよく飛び落ちていたと話しており、(負け惜しみかもしれないが)手応えがない、ひどい試合というイメージではない。ミスが多かったことは疑いようがないが、時折錦織はTOP選手にあるまじき凡ミスを積む選手である。フリーポイントを大量に明け渡しても、最後には入ってくるというふてぶてしさと、実際にねじ込んできて超面白いラリーを展開してくれるから錦織の試合は面白いのではないか。今回は最後まで局面を打開するほどには至らなかったが、最終ゲーム(結局ブレークされて落とすあれである)はヤケクソバカ打ちハードヒットの雨あられがコート内に収まっていたではないか。
打ちすぎてばてた点はご愛敬である。多少かわいげある方が魅力的でしょ?
無敵艦隊時代のジョコビッチはあんまり人気なかったでしょ?(もちろんフェデナダが人気すぎだとか、出身の問題であったり様々な要因によるものだが)
上で書いたような自分の試合評価も多くは主観的評価から来ている。だからそれが本当に事実を正しく記述できているかどうかはわからない。
例えば、ばてたと評したが、実際には風向きが変わってスイングしにくい弾みになったのかもしれないし、フェルトが飛びすぎて合わないボールが来るようになったのかもしれない。そもそも客観的にスイングスピードやボールスピード、スピンレートが落ちたのかどうかはわからない。
このような主観的評価と客観的事実が食い違う例を挙げよう。テニスコーチもストリンガーもプロもボールの飛びが悪いならガットテンションを落として、逆に飛びすぎるなら固くしてということは未だに日本全国そこらじゅうで言われていることだろう。
しかし、研究結果としてガットテンションはボールの飛距離に影響を与えない。(確か有意差なしどころか関連自体ほぼないというものだったはず)。しかし、実際にボールの飛びが変だとガットのテンションはいじる。これは経験則でそんなにおかしくない。
種を明かすと、ガットのテンションはボールの打ち出し角度に影響を与えるようである。固いと打球角度は下がり緩いと上がるそうである。これは主観がバイアスとなってしまう面白い例だと僕は思っている。
別な研究では打球音をマスクした場合、ガットテンションの違いはほとんどわからないそうだ。研究対象者は海外のセミプロなのでテニスが下手だからとか、テニス歴が短いからということではない。なんとびっくり、15ポンドくらいまでのガットテンションの違いすら我々は認識できていないのである。
しかし、自分のようなアマチュアプレーヤーでさえ、寒くなってきたときに、ガットが固い感じというのは確実にある。そのほとんどは音の違いなのだろうか。まったく不思議である。不思議ではあるが、ピュアドライブを何となく嫌がる一定の層がいるというのも納得できる気がする。(素晴らしいラケットだけど、ちょっと金属音っぽい独特の打球感があるのだ)
いずれにせよ、このふたつの研究を統合して導き出される仮説としては、打球音と自分のイメージしたボール角度と違うと、テニスプレーヤーはひどく困惑するようである。考えてみればボールの飛び一つとっても相手のボールの勢い、質によってもずいぶんばらける気がする。(これは根拠がないのだが)
不用心に断定する記事がどれだけ罪深いかおわかりいただけただろうか?
無料記事だから手を抜いているとしたら、ライターとしての資質に欠けるし、このような客観的評価ができることを知らない、ないし気に留めていないようであれば、テニスに対する基本的知識や愛情が欠落していると言わざるを得ない。
だから、テニスの記事は内田さんのように優秀なライターに集約してくれればいい。なんなら山口さん、カジュアルな記事ならダバディさんでもいい。
テニスというのは本当に面白いスポーツで、今のところ「正解」への道は人それぞれという点がより魅力的たらしめている。
サーブ打って、おしまい。とか、とにかく強いボールを打ち続ける、とか、そりゃ強いのわかるけど、みんながみんなそれならテニスは面白くなくなる。このへんは個人により考え方も違うが、やっぱり色んなプレーヤーがいるから楽しいのでは。
みんな違って、みんないい。